叔父の記憶

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たまにふと叔父の事を思い出す。

 

父の弟で生前今でいうニートだった。

 

私が生まれてからそういう人扱いされてたので、ニート以前の彼を実家で発見すると

物思いにふけってしまう。(叔父の高校の卒業アルバムを見つけて進学校だった)

 

小さいときに自分の名前のブローチを持っていて、服によく付けていた。

大きくなった時に母に「このブローチってどこで買ったの?」と聞くと

「おっちゃんが社員旅行で買ってきたんや」と聞いてびっくりした。

 

・おっちゃんは昔働いていた。

・おっちゃんが私の為にお土産を買っていた。

 

叔父ちゃんは昔からニートじゃなかったんやなと。

勉強は兄弟の中で一番出来て、姪の私にお土産を買ってきてくれた。

 

推測するに、叔父は大学卒業後(8年かけて卒業・・・そこはまあという感じ)

 就職したのちニートになったようだ。

今は職場鬱みたいなのは一般的だし、パワハラ・セクハラ・マタハラ・モラハラetc...

と個人が守られる社会になってきた。

 

でも当時はそんな言葉は存在しなくて、会社は長く勤め上げるべきで上司や会社の存在は個人を押し潰して絶対的だった。

 

33歳の私が10歳くらいとか、まあ95年とかそれくらいの日本だ。

 

親戚中が触れてはいけない存在みたいな、そんな雰囲気だったのは小学生の私でも分かっていた。

 

たまに家にやって来て母が「ご飯食べていきますか?」「いや、いいです」と遠慮気味に消え帰っていく姿を覚えている。祖父と祖母にお金貰って帰っていたようだ。

 

1995年くらいの日本って、まだまだ日本がそういう問題に未熟だったんだと思う。

発達障害なんて言葉一般的じゃなかったし、ニートだって言葉もなかった。

 

私が大学2.3年の時両親が上京した時、父から「お父さんの弟死んだんや」と聞かされた。

 

まじか。

 

その時は結構びっくりした。

 

癌だったそう。葬儀は父と近所に住む従妹(叔父と同級生で同じ高校だ)の二人だけの密葬だったで母と伯母(姉)は旅行中で参列できずと。

 

亡くなる前も亡くなった後も叔父の話題は家族の中に一切出てこない。

実の姉の伯母からも聞かない。

 

姪の私はたまにふと、う~んと思うことがある。

 

私も母になり子供がいる。子供がそういう状況になったら少しでも社会の一員として生きて欲しい気持ちが強いからだ。だからこそ、なぜ祖父母や兄弟だちは何も出来なかったのか。。。と。逆にこれからの時代なら叔父のような人を見て見ぬ振りをしないような社会になる気がするのだ。

 

叔父は生前祖父が買ったマンションに住んでいて、亡くなってから賃貸していた。

父がその後亡くなり名義が私になっている。

 

去年長い間賃貸してくれていた方が退去したのを機に、リフォームし(築40年ほどだ)

妹夫婦が住んでくれている。

叔父が喜んでくれてるんじゃないかなと、ふと思う。

 

私にお土産を買ってきてくれた叔父だから、妹のことだって可愛いはずだ。

 

家は買うものじゃなくて、受け継ぐものだと思っているから。

家は所有するものじゃなく、バトンみたいなそういうものだ。

移り変わっていくということ。

でも、そのバトンを無理やり押し付けてはだめだ。

喜んでバトンを貰わないと意味がないのだ。

 

妹たちが喜んでバトンを貰ったからはわからないけど、、、。

 

私自身は毎年確定申告の度に叔父をふと思い出すのだ。